2019年


ーーーー3/5−−−− 元号は悩ましい


 
安曇野市が作る新年度のゴミ収集カレンダーを見た。2019年度と記されていて、新鮮な印象を受けた。これまでは、平成○○年度というふうに、元号表記だったからである。この5月から新元号に変わるが、まだ公表されていないので、西暦で書くしかなかったのだろう。

 先日ある会合で、元号の話が出た。ある人が、「元号と西暦の二本立ては混乱して不便だから、元号なんか無くせば良いのに」、と言った。すると他の人が「そんな事を言うと、非国民って言われますよ」と、冗談交じりに言った。それでも、実際に不便だという意見は別の数名からも出た。

 西暦の他に元号のような暦を使っている国は、他に無いそうである。我が国が元号を併用していることについて、固有な伝統として誇りに思っている人もいるだろう。しかし、咄嗟に分からなくなることがあり、不便だと感じることもある。何十年も暮らしていて未だに馴染めないのだから、慣れで解決できるものでは無さそうだ。不便さを感じる人は多いのではないかと思う。

 従来元号を制定する際には、旧皇室典範が拠り所となっていたが、戦後条文が無くなったので、1979年に元号法が新たに制定されたという経緯である。その元号法は、「元号は政令で定める」と規定しているだけであり、使い方に関しては触れていない。それでも、旧来のやり方を踏襲して、お役所の書類は全て元号表記になっている。各種申請書も元号で書かねばならず、自治組織なども右へ倣えで元号を使っている。そのため、時として混乱する。

 新聞などは、西暦がメインとなっている。記事は基本的に西暦表示である。併記する場合は、元号が括弧に入っている。企業における文書も、西暦表記がメインだろう。国際化社会において、元号表記の文書では具合が悪い。

 元号を使う利点も、あるかとは思う。しかし、不便であることも事実。そこらへんを吟味して、使い方を考えていくことが必要ではあるまいか。元号表記だけで事を済ませようとするお役所の姿勢は、如何なものかと思う。お役所の仕事は、あまり長い年月で考えなくても良いかも知れないが、世の中にはもっと長いスパンで考えなければならないことがある。身近な例で言えば、昭和28年生まれですと言われて、何歳だか即座に知ることは現在でも難しくなっているし、将来はもっと困難になるだろう。 

 ところで、冒頭に述べたカレンダーの件。ちょっと調べてみたら、平成31年度と書いても間違いではないようである。年度の呼び方は、その年度が始まる日すなわち4月1日時点の元号を使うということになっている。その後元号が変わってもそのまま使えば良いというのが、定説らしい。

 しかしそのようにすると、新しい元号に変わった後何ヶ月もの間、もはや過去のものとなった元号を年度の呼び方として、翌年の3月末まで使うことになる。それもなんだか違和感があるように思う。市の担当者もそれを考えて、西暦表示にしたのではないかと想像する。苦肉の策かも知れないが、実質的には的を得た処置であると、評価したい。




ーーー3/12−−− 人騒がせな当て字


 部屋の壁に一枚の紙が張ってある。次女が小学4年生のときに書いたもので、「大竹家のみんな」と題して、その当時一緒に暮らしていた家族、すなわち私の両親と私と家内、そして3人の子供たちの名前が、その順で書かれている。合計すれば7人だが、最後に部奈という名が書かれているので、8人分の名前となっている。部奈は、その頃飼っていた犬の名前のブナだが、娘が当て字でこう書いたのだろう。

 その部屋は両親が使っていた居室で、次女はよくその部屋に入り浸っていた。その紙も、爺婆の前で書いて壁に張ったのだと思われる。その部屋は、ほぼ両親が居たころのままの状態になっているので、張り紙も壁に残っている。その横には、娘が作ったクマの顔のお面も掲げてある。

 その「部奈」をめぐって、エピソードがある。

 長女が結婚して、婿殿を連れて訪ねて来た。婿殿はこの張り紙を目にして、心が騒いだそうである。結婚相手は三人兄弟と聞いていたが、だとするとこの部奈さんというのは誰だろう? ひょっとしたら四番目の子だが、小さい頃に亡くなったのだろうか? 長女の口からそのような話を聞いたことは無い。触れてはいけない悲しい過去の出来事だったのか・・・ 婿殿は長い間それを問いただすことができなかった。最終的には、何かのきっかけで真相が明らかになり、婿殿はホッとしたそうである。

 何とも人騒がせな当て字である。それを書いた張本人の次女も昨年結婚した。そして婿殿を伴って帰省した。その婿殿も、この張り紙を見て、まったく同じ気持ちになったという。




ーーー3/19−−− 写真を切り抜く


 
長女がスマホに画像を送ってきた。ある初老の男性の顔写真の切り抜きだった。何かと思ったら、孫娘(4歳)が、父親が読んでいる経済紙にあった写真を切り抜いたものだと。それを孫娘は「じいじ」と言ったそうだ。つまり私に似た顔を印刷物の中に発見し、それを切り抜いたのだと。

 血は争えないものである。我が家の子供たちも小学生の頃、新聞の折り込みチラシの切り抜きに熱中したことがあった。特に宝石類の写真が好きで、切り抜いたものを別の紙に並べて貼ったりして遊んでいた。貧しい家庭の子供のささやかな楽しみ、といった感じであった。子供が自分で遊びを考案するというのは好ましい事だと思うが、親としてはちょっと複雑な気持ちになったのを憶えている。

 私に似た画像を送ってきた長女に対して、たまたま最近自分が切り抜いた写真が壁に貼ってあったので、スマホの返信に画像を添えて送った。それは、郵便局から貰ってきた通販のチラシにあったラーメンの写真を切り抜いたもの。とても美味しそうだったので、取っておこうと思ったのだ。切り抜きなどするのは何年ぶりかだが、たまたまタイミングが重なった。それを見て長女は、ギョッとしたようだった。このおやじ、ボケが始まったのか?と思ったかもしれない。ともあれ、血は争えないものでる。

 切り抜きで思い出すのは、アンリ・コルピ監督の映画「かくも長き不在」。涙無しでは見れない、名作である。

 戦地に赴いて行方知れずとなった夫を待ちわびる妻。ある日、夫によく似た男を町で見つける。その男は浮浪者の風体で歩いていた。後を追って観察すると、男は新聞や雑誌を拾い集め、その写真をハサミで切り抜く行為にふけっていた。その男が夫であると確信した妻だったが、男の様子はおかしかった。記憶が無く、反応も鈍かった。別の日、妻は男に大量の雑誌の束を渡し、気をひこうとする。そして自分が経営するカフェに誘うことに成功する。二人で静かにダンスを踊るうち、妻は男の頭部に大きな傷跡があることに気付く。そして男はカフェを出て、どこかへ消えて行った。

 大の男が写真の切り抜きに熱中するシーンは不気味だった。それが結果的に、何とも言えない寂しさ、悲しさを演出し、戦争というものの不条理を訴えているように感じられた。





ーーー3/26−−− 天井灯の交換


 
我が家の玄関の天井灯は蛍光灯である。これが長らく不快の種であった。スイッチを入れてもすぐに点灯しないからである。

 暗くなってから、あるいは日中でも天気が悪くて薄暗い時、玄関を使う際にこの照明を点ける。そういう時に、点灯まで待たされるのは、僅かな時間とはいえ、イライラするものである。

 何故蛍光灯にしたのか? 設計者の意図を疑ってしまう。点灯している時間が短いから、消費電力を気にする必要は無い。だから、蛍光灯にする必要は無い。逆に、瞬時に点灯しないという欠点がある。居室などとは違って、玄関には短い時間しか滞在しない。それなのに待たされるのは、不快である。

 その不快を解消すべく、ついに行動を起こした。照明器具を取り替えたのである。新たに登場したのは、自作のシャンデリア。シャンデリアと言っても、別に豪勢なものではなく、単なる天井から吊り下げる形の照明器具である。以前作って、事務室に設置していたが、ほとんど使っていなかったもの。

 それを移設した。白熱灯なので、スイッチを入れればすぐに点灯する。それがとても気持ち良い。白熱灯の光の暖かな感じも良い。こういうことはみな同じだが、何故長い年月に渡り不快なことを我慢してきたのかと思う。取替えに要した時間はわずか30分程度だった。